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函館地方裁判所 昭和35年(ワ)404号 判決

主文

被告西沢春雄は原告に対し金十万円及びこれに対する昭和三十五年十月二十日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告の被告西沢春雄に対するその余の請求及び被告西沢新三郎に対する請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用は原告と被告西沢春雄との間では原告に生じた費用の二分の一を同被告の負担その余を各自負担とし、原告と被告西沢新三郎との間では全部原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告等は連帯して原告に対し金二十万円及びこれに対する昭和三十五年十月二十日から右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、原告は、昭和二十六年八月被告春雄から求婚を受けて承諾し、爾来事実上の夫婦として昭和三十三年五月まで主として原告の父である佐々木酉松方において同棲同様の生活を続けてきたが、この両名の関係は、正式の式こそ挙げなかつたけれども互に愛和して婚姻の成立を希望していたので、将来婚姻をなす旨の合意により相互に婚姻への期待的地位を作り出すべき所謂婚姻の予約として、双方の近親者は勿論部落内衆目の認めるところであつた。そして、その後原告は昭和二十七年十一月及び昭和三十一年九月の二回に亘り姙娠したのであるが、いずれも被告春雄の要求により、不本意ながら初回は昭和二十八年四月木古内町の産婦人科医院で、二回目は昭和三十二年二月函館市の中村産婦人科医院でいずれも同被告同道の上で中絶の手術を行つた。しかるに被告春雄は昭和三十三年六月頃から急に原告を疏んじ始めたので、原告は以後昭和三十五年三月までの間自ら又は自らの親族を通じて同被告に対し再三再四意を飜して原告との婚姻予約を履行されることを懇願したが、同被告はその父である被告新三郎の反対を理由にこれに応ぜず、あまつさえ同年三月二十五日訴外西沢トシ子と事実上婚姻して、何ら正当の理由もないのに一方的に原告との婚姻予約関係を破棄した。ところで右のように被告春雄をして原告との間の婚姻予約関係を破棄するに至らしめたのは、原告と被告春雄との関係を知り且当初は両名の婚姻を承認していた被告新三郎が両名の婚姻予約関係を断たしめんとし、被告春雄の実父たる地位を利用して、原告が西沢家の家柄家風に合わないとか、或は原告が他の男と通じたとかの虚偽の事実を理由に被告春雄に対し原告を離別すべきことを強要したことに基因するものであるから、被告新三郎も亦、自ら被告春雄に協力し同被告をして原告との婚姻予約を破棄せしめその婚姻の成立を妨げたものというべきである。そうであるとすれば、被告両名は共同して原告が有した婚姻予約上の権利を不法に侵害したものに外ならないから、これによつて原告の蒙つた精神的損害を賠償すべき義務があるところ、原告が前記佐々木酉松の四女として生れ、松前町字清部の清部尋常高等小学校高等科を卒業し、その後は主として家庭にあつて家事の手伝いに従事し、満二十一才の時初婚として本件婚姻予約に及んだものであること、被告新三郎が建物、宅地、山林等を有する清部部落切つての資産家であつて、映画館を経営するかたわら、民生委員、漁業協同組合理事、部落会長を勤めるものであること、被告春雄が被告新三郎の長男として原告と同じ学校を卒業し、漁船の機関士を経て五年前から父の経営する映画館の映写技師として家業の手伝いをしているものであることその他前記諸般の事情を綜合すると慰藉料としては金二十万円を下らない。よつて原告は被告等に対し不法行為による慰藉料として金二十万円及びこれに対する不法行為の後である昭和三十五年十月二十日から右完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を求めるため本訴請求に及んだ、と述べた。(立証省略)

被告等訴訟代理人は、請求棄却の判決を求め、答弁として、原告主張の事実中、被告春雄がかつて原告と情交を結んだこと、原告が昭和二十八年頃妊娠し被告春雄同道の上木古内町の医院で中絶をしたこと、被告春雄が昭和三十五年三月二十五日訴外西沢トシ子と事実上の婚姻をしたこと、及び原告被告春雄の学歴、被告新三郎の資産、営業、役職、地位等は認めるが、その余の事実は全部争う、と述べ被告春雄の主張として原告及び被告春雄は相互に若気の至りから人目を忍んで或は浜辺において或は佐々木酉松方物置において時折情交を結んだのにすぎないのであつて、両名は同棲同様の生活を営んだわけではなく互に親兄弟にも秘密の全くの野合であつた。前記昭和二十八年頃の妊娠中絶についても被告春雄は原告の要求により同道したにすぎず同被告において中絶を勧めた事実はないのみならず、原告は情交の当初からもし妊娠すれば中絶するから心配するなと放言していたのである。被告春雄は、原告と交際中船入澗工事のため清部部落にきていた潜水夫と原告の間に情交関係ありとの風評を耳にしたので詰問したところ、原告は自分の体で自分がやることに干渉をうけないと放言した事実があり、清部部落の前田金三郎と情交していることを現認した事実あるのみならず、更に原告は昭和三十三年四月頃青森県から鱒釣にきていた一団のうち木村久勝なる者と情交をしたこともあつて、これら原告の不行跡も亦、原告と被告春雄の情交関係が単なる野合であつて真意に基く婚姻予約ではないことを示すものである。そして、被告春雄は昭和二十九年八月肝臓炎を患つたので、その後は勿論原告との情交関係もなく、暫く自宅で療養していたのであるが、病勢が悪化したので間もなく江良町の病院に入院、同年末やや回復して退院し、その後再び自宅療養を続けていたところ、昭和三十一年六月頃に至り病勢が再び悪化したので檜山郡上ノ国村中外鉱業所の診療所において診断をうけた。ところが右診断の結果慢性肝臓炎であるから長期の治療を必要とするとのことであつたので、被告春雄は同村の中村清治方に寄宿して治療を受けることにしたのであるが、同年十月頃原告に対し書簡を以て自己の病状を告げ、相互のため一切の関係を解消すべき旨申し送り、更に右中村に依頼してその了解を求めたところ、原告は函館で被告春雄と直接面談したいとのことであつたので、同被告は病をおして右中村と共に函館に出て原告と面談した結果、原告も同被告の真意を知り、相互に一切の関係を断つことを承諾したものである。かくしてその後被告春雄は治療に専念していたが今なお全治するに至らず、自宅において静かに父である被告新三郎の経営する映画館の映写の手伝をしているものであるところ、原告は昭和三十四年四月頃突然訴外斎藤ユキを頼んで被告新三郎に対し、被告春雄が他の女と婚姻するとの風評があるが、そのことには異議はないけれども、被告春雄との妊娠中絶の費用として金一万千円を支払つてくれと申入れてきたので、被告新三郎は右申出を真実と信じてその要求に応じ、一切の関係を解消することを約して金一万五千円を支払つたものである。以上の次第で、原告と被告春雄には婚姻の予約はなかつたし、又二回に亘り特に二回目には金一万五千円を支払つて一切の関係を解消する旨の合意が成立しているから、原告の請求には応じられない、と述べた。(立証省略)

理由

まず被告春雄に対する請求について検討する。

成立に争のない甲第二号証の二、第三号証の一、二証人目谷ミヱ、原告本人の各供述に被告春雄本人の供述の一部を綜合すると、原告と被告春雄はいずれも出生以来松前町字清部に居住する旧知の間柄であつたが、共に二十一才になつた昭和二十六年八月頃原告は同被告から結婚の申込をうけ、原告自身もかねてから同被告に好意を抱いていたのでそれ以来同被告と交際を続けているうち、相互の愛情は益々強くなり、将来の結婚を誓いあつて昭和二十七年九月頃には原告の親戚の家で始めて情交関係を結ぶに至り、以来昭和二十九年夏頃まで、屡々物置小屋や浜辺等で同様な関係を重ねた外その後昭和三十一年九月頃当時病気治療のため檜山郡上の国村にいた同被告と同村の旅館で会つた際にも同衾し、その結果二回に亘つて姙娠したがその都度同被告の希望により中絶手術を行つた事実を認めるに十分であつて、被告本人の供述中右認定に反する部分は前掲各証拠と対比して措信することはできない。被告春雄は原告の不行跡をあげてあたかも原告自身に同被告との将来の婚姻に対する真摯な意志がなかつたかの如く主張するが、その主張の木村久勝なるものとの情交については証人西沢一二三の証言によつて成立を認めうる乙第一、第二号証の右主張に副う記載は原告本人の供述と対比してにわかに措置できず、又被告春雄本人の供述中、昭和二十八年夏頃原告が浜で前田金三郎と一緒に寝ているのを見たとする部分もこれのみを以て原告と同人との間に情交があつたことを確認するに足りないし、その他原告が当時被告春雄以外の男と情交関係があつたことを明確に知り得る証拠はない。そして以上に認定した事実によれば、被告春雄は真実将来夫婦として原告と共同生活を営むつもりで結婚を約束していたものであり、原告もいずれは同被告と正式に婚姻し得るものと信じたればこそ情交関係を結び将来の婚姻の実現を鶴首していたものと認めるのが相当である。尤も上記認定のとおり、原告と被告春雄は原告主張の如く同棲同様の生活を続けていたわけではなく、証人目谷ミヱ、同佐々木義勝、原告本人の各供述によれば、原告、被告春雄とも二人の関係をその両親等に積極的には打明けようとせず、且それが故に結納の授受等世間の慣習に従う手続をとること等は勿論双方の両親の間で二人の結婚について話し合う機会をもつこともなかつたことが認められるけれども、だからといつて直ちに両名の関係を被告春雄主張のように若気の至りから出た単なる野合乃至私通の関係と解するのは相当でなく、前記のように男女が真剣に将来夫婦としての共同生活を営むことを約し、これに基いて長期間継続的に情交関係を結ぶに至つたこと自体婚姻予約についての当事者双方の明確な意思を看取するに足るものというべきである。

しかるに、証人西沢一二三の供述並びに原告及び被告等本人の各供述を綜合すると被告春雄は昭和二十九年夏頃から肝臓炎等を患い同年末頃にはやや回復したが、昭和三十一年夏頃から再び悪化したので、その頃から同年暮頃まで同被告の叔母の嫁ぎ先である檜山郡上ノ国村の中村清治方から同村所在の中外鉱業所診療所に通つて治療を受けていたこと、そして同被告は同年十月頃函館市内の旅館で原告と会い、このように病弱の体ではとても結婚は考えられない旨話したけれども原告の同意は得られなかつたこと、ところが昭和三十三年五月頃から同被告は原告と会うことを避けるようになり、昭和三十四年四月頃、原告が前記姙娠中絶の際同被告の希望により原告の姉から借りていた金員の返還を催促されたので、原告の母から被告等の親戚にあたる斎藤ユキにその旨を話したところ、同被告の父である被告新三郎はその弟西沢一二三をして金一万五千円を原告方に持参せしめ、その際右一二三は、被告春雄には原告と結婚する意思は全くない旨言明したこと、そして被告春雄はその後昭和三十五年三月二十五日に西沢トシ子と事実上の婚姻をするに至つたことが認められる。ところで被告春雄が右のように原告との婚姻予約を破棄するに至つた理由についてはこれを確定するに足る資料はないけれども、被告春雄本人の供述する原告の不行跡は認められないこと前認定のとおりであるから、少くとも原告の責に帰すべき事由に基くものとは解せられず、いずれにせよ被告春雄は何ら正当の理由なく原告との婚姻予約を破棄したものであつて、右不法行為により原告の蒙つた精神上の損害を賠償する義務があること明かである。

被告春雄は、昭和三十一年十月頃及び昭和三十四年四月頃原告と合意の上一切の関係を解消し、特に昭和三十四年四月頃には被告新三郎から金一万五千円を支払つている旨原告と被告春雄間に右趣旨の和解契約が成立したかの如く主張するが、前者については被告春雄から婚約の解消を申入れたが原告の承諾を得られなかつたこと、又後者については金一万五千円は所謂手切金ではなく妊娠中絶費用であつたこといずれも前認定のとおりであるのみならず、右金一万五千円の支払によつて一切の関係を解消する旨の合意が成立した事実を認めるに足る証拠はないから、右主張は失当である。

そこで慰藉料の額について考えるに、成立に争のない甲第一号証、証人佐々木義勝、原告本人及び被告春雄本人の各供述によると、原告は肩書住所地において佐々木酉松の四女として生れ、同地の小学校高等科を卒業して家事の手伝い等をしているうち満二十二才で始めて被告春雄と結ばれ、爾来前記のように長年月に亘り同被告との婚姻を待望して交際を続けてきたのであるが、目下三十一才で既に結婚適令期を過ぎ良縁を期待し難い事実、被告春雄は被告新三郎の長男として生れ、原告と同じ学校を卒業したが、病身のため現在では被告新三郎の経営する映画館の映写技師として家業の手伝いをしており、現に資産として目ぼしいものないけれども将来はかなりの資産を相続しうべき地位にある事実を認めるに十分であり、これらの事実と前認定の諸般の事情を考慮して、被告春雄が原告に支払うべき慰藉料は金十万円を以て相当と認める。よつて被告春雄は原告に対し金十万円及びこれに対する婚約破棄の後である昭和三十五年十月二十日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

そこで更に進んで被告新三郎に対する請求について審究するに、前記のように被告春雄が原告との婚姻予約を破棄するに至つた理由についてはこれを確定するに足る資料はないけれども、証人目谷ミヱ、同佐々木義勝、原告本人の各供述によれば、被告新三郎や前記西沢一二三を含む被告等の親族において原告と被告春雄との婚姻について必ずしも賛成でなかつたことはこれを推認しえないではない。しかしながら被告等本人の各供述及び本件弁論の全趣旨によれば、被告春雄自身長期間の病気療養により原告と親しく会う機会が殆どなくなつたことや原告の不行跡に関する風評等を信じたこと等種々の事情が重なつて年月の経過とともに次第に愛情が冷却したことが原因をなしたものと推測することも亦不可能ではない。そして、本件婚姻予約は原告及び被告春雄ともそれぞれの両親にこれを積極的に打ち明けなかつたこと前認定のとおりであるから、被告新三郎において世評等によりその事実を知つていたとしても原告主張のように同被告が当初は両名の婚姻を明確に承認していながらその後これを反対するに至つたと考えていることは困難であり、その他被告新三郎が被告春雄に対し、原告が被告等の家柄家風に合わないとか、原告が他の男と通じたとの虚偽の事実を理由に原告との離別を強要したとの原告主張事実については、本件全立証によつても遂にこれを明かにすることはできない。よつて原告の被告新三郎に対する請求は理由がないものといわざるをえない。

以上の次第で、原告の被告春雄に対する請求は前記説明の限度で正当として認容し、その余は失当として棄却し、被告新三郎に対する請求は全部失当としてこれを棄却すべく、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条、第九十二条を適用し、なお仮執行の宣言を付することは相当でないと認め、該申立を却下することとして、主文のとおり判決する。(昭和三六年九月一一日函館地方裁判所)

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